<祖母のこと>
カンヴァスのような支持体に塗り重ねられた絵具の、きわの部分を眺めるのが好きだ。
潘逸舟《ぬりえ》(2017年)は、潘が上海の実家に帰った時、押入れから出てきた布を用いた作品だという。
この布は、洋裁をしていた作家の祖母の持ち物だったそうだ。「東北大花布」と呼ばれる、カラフルな花柄の布。
潘がその布を裏返すとき、そこに結びついた潘の祖母の記憶も裏返る。そしてそのきわに筆先が重ねられている。
曲線から絵具がはみ出さないように。
作品を前にしながら、北海道で生まれてからずっと一緒に暮らしていた、自分の母方の祖母のことを思う。
祖母は、今年の3月に亡くなった。92才だった。祖母は、戦前の樺太・真岡町(現在のホルムスク/サハリン州)で生まれ育ち、戦後に母方の実家のあった福島県・川俣町に引き揚げ、その後、祖父と結婚するためにきょうだいを連れて(祖母は五人きょうだいの長女だった)北海道に渡ってきた。北海道の中でも、はじめに祖父方の実家のあった倶知安町で暮らし、その後札幌に移動してきて、郵便局の窓口で長い間働いていた。《津軽まわるテーブル》プロジェクトの関わり方を考え始めた時、まずはじめに思い浮かんだのが、祖母のことだった。北海道・札幌で生まれ育ち、弘前に移住してきた自分と、戦争を経験し、いくつかの土地を移動しながら暮らしていた祖母。
私にとって、自分の生まれ育った土地で祖母と過ごした時間は、「生活」そのものであった。新しい土地での生活の中で救いになったのは、これまで祖母と共有していた生活を再び立ち上げ、今の自分の暮らしにつなげていくことだった。おやつを食べながら見る夕方の相撲。お風呂上がりに一緒に見た夜11時のニュース番組。朝起きてきて、湯呑みに入れてくれる苦い煎茶や、いつもささっと作ってくれた、たくさんの料理。いろいろな入浴剤を一緒に試した家のお風呂。冬の石油ストーブの、上に乗せたやかんでお湯が沸騰する音。こうした、祖母と共有していた生活の断片を少しでも忘れないように、私は自分の中にポカンとあいた穴の中に、気づけばそれらを投げ込んでいた。
<祖母と料理>
祖母が作ってくれた料理。
意識したことがなかったのだが、その中には、子どもの時から、お婆さんになって亡くなるまでのあいだに住んだ土地(樺太、福島、北海道)の料理のエッセンス、というべきようなものが含まれていたのだろうか。もっとも、祖母が、自分の親の世代から受け継いだ伝統的な料理を作っていたという記憶はない。どうやって料理を覚えたの、と聞くと、いつも「自己流だから」とおどけて笑っていた。今、思い出せる、祖母がよく作ってくれたものを書き出してみる。
・てんぷら(厚切りのサツマイモ、輪切りにした玉ねぎの天ぷら、茄子、舞茸)
・きんぴらゴボウ(人参とゴボウを太めに細長く切って炒め、白ごまと和える。細かくしたイカのするめが入っていることもあった。)
・焼きそば(ここにもイカの足入り。人参、キャベツ、豚肉も入っていた。青のりがたくさん降りかかっていた)
・味噌汁(煮干しと昆布を水に入れて沸騰させ、出汁をとっていた。白子(「たち」)の味噌汁、卵とほうれん草の味噌汁など)
・たちの煮付け(醤油、だし、砂糖などで味付けしたもの)
・塩辛(売っているものは甘い、と言って、イカのゴロと塩、唐辛子(「南蛮」)を入れて手作りしていた)
・ポテトサラダ(じゃがいもはあまり潰さない。人参、時々マカロニや生ハムが入っていた)
・豚丼(甘辛く味付けした豚バラ肉をご飯に盛り付けて、上に生卵がのっていた。)
・焼いた手羽中(甘辛い味付けではなく、ただ塩をふって焼いたもの)
・骨付き鶏肉(ヨーグルトや、醤油やニンニクに一晩つけたものを焼く)
・たらのバター焼(バターと塩だけで味付け)
・餃子(一緒に包むのが楽しかった)
・たらこ(マダラコ)としらたきの和え物
・三平汁(じゃがいも、人参、玉ねぎ、長ネギと、白身の魚。これも北海道の郷土料理)
・旨煮(豚の角煮、人参、しいたけ、竹の子、こんにゃく、里芋、レンコン)
私は祖母の料理が大好きだったので、いつも作り方を教えて、あるいは、レシピのメモを書いて、と思い出すたびに言っていたけれど、祖母は面倒くさかったのか、教えてくれることはなかった。実際、調味料などはその時々で目分量で加えていたみたいだった。でも、今こうして書き出していると、祖母が作ってくれた料理の記憶が、私の中に自分で感じていたよりもずっと深いところまで染み込んでいることに気がつく。
書きながら料理について調べていて気がついたこと。北海道の料理と、今私が暮らす青森の郷土料理には、似ているけど微妙に違うものがいくつかありそうだ。例えば、たらことしらたきの和え物。北海道で食べていたのは、たらことしらたきのみだった。青森出身の同僚に聞いてみたところ、青森では、そこに人参が入っているらしい。あとは汁物も、似ているけれど違う。北海道の石狩汁や三平汁に対して、青森にはじゃっぱ汁というものがある。どちらも具材に魚を使うけれど、他の具材やその切り方が違う。
異なる土地を飛び越えて共通してあり続けるものや、ひとつの場所にとどまっても人々の生活の中でゆるやかに変化していくもの。そうした存在について考えてみたい。
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