年表

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煉瓦倉庫建設時の様子(1923年頃)福嶋家蔵

1.1880〜1907:煉瓦倉庫建設前

れんが倉庫美術館の歴史の萌芽は、青森のりんご産業の発展に貢献した楠美冬次郎(くすみ・ふゆじろう)によって、1880年、りんご園「不換園」が開設されたことに遡る。この地には、屋敷と広い庭園、大きな池には、鯉や金魚などを養殖し、池のほとりには花菖蒲園が造られた。畑にはりんごのほか、スモモ、西洋ナシなども育てられ、トマト、アスパラガス、カリフラワーなど西洋野菜も試植された。

黒 = 吉野町緑地・煉瓦倉庫にまつわる出来事

ゴールド = 国内・県内・市内の出来事

  • 1894年(明治27年)

    日清戦争勃発

  • 1896年(明治29年)

    のちに明治・大正時代の実業家となった、福島藤助(ふくしま・とうすけ)が大工から酒造業に転身し、日本酒「吉野桜」を現・弘前市茂森町にて製造を開始

  • 1897年(明治30年)

    不換園が火力発電所の建設敷地の候補地として挙げられ、楠美冬次郎が宅地の一部を譲渡

    酒造法の制度改革が行われ、自家用酒の醸造が全国的に禁止される。またこの頃から1901年までにりんごの生産量が約4倍と飛躍的に増加し、大量に生じる屑実の加工法の開発が進められる

  • 1904年(明治37年)

    日露戦争勃発

  • 1907年(明治40年)

    弘前電燈株式会社の重役を務めていた福島藤助が跡地を譲り受け、茂森町より倉庫3棟を移築(現在のカフェ・ショップ棟の一部を含む)
    煉瓦倉庫の工事着工にともない、小栗山に煉瓦工場を建設

  • 楠美冬次郎のリンゴ園「不換園」
    (明治初期) 公益財団法人青森県りんご協会蔵

  • 福島藤助がつくり始めた「吉野桜」の広告
    (1909年) 弘前市立弘前図書館蔵

  • 山形岳泉
    《陸奥勝景道中絵図のうち吉野町付近から見た岩木山》
    (幕末〜明治頃) 弘前市立博物館蔵

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増築を経た煉瓦倉庫の外観(1923年以降) 弘前市立弘前図書館蔵

2.1913〜1939:日本酒造工場時代

福島藤助が社長を務める福嶋醸造株式会社は事業拡大し、1913年、建物は工場と倉庫を含め10棟に増設。現在に引き継がれる、れんが倉庫美術館の基盤となる建築は、福島によって築かれた。また冷却装置の設置と「純粋酵母醸法」の研究家の全面的な協力により、清酒の四季醸造が可能となり、計画生産と大幅なコストダウンを実現させた。

黒 = 吉野町緑地・煉瓦倉庫にまつわる出来事

ゴールド = 国内・県内・市内の出来事

  • 1914年(大正3年)

    第一次世界大戦勃発

  • 1915年(大正4年)

    酵母製造を主体とする酒造研究所が完成

  • 1921年(大正10年)

    年間の酒造量は約108万リットル(福島が社長を務める富名醸造株式会社の酒造量と併せると180万リットル超)となり、青森県の全酒造量1500万リットルのなかで第一の酒造量となる

  • 1923年(大正12年)

    工場増築(現存する美術館棟もこの頃に建てられる)

    関東大震災

  • 1931年(昭和6年)

    満州事変
    醸造学の権威である坂口謹一郎博士がりんご酒醸造に関する論文を発表する

  • 1939年(昭和14年)

    戦時中、のちに朝日シードル株式会社の社長となる吉井勇(よしい・いさむ)がりんご酒製造免許を取得

    第二次世界大戦勃発
    秩父宮送別午餐会に発泡性りんご酒が供され、後に秩父宮家から英国製シードルが下賜される

  • 福嶋酒造時の現・2階展示室の様子
    『津軽名勝と産業』より
    弘前市立弘前図書館蔵

  • 中央に煉瓦倉庫
    吉田初三郎《弘前市鳥瞰図原画》より部分(1933年)
    弘前市立弘前図書館蔵

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朝日シードル工場時の乾燥機、リンゴの搾りかすを乾燥し堆肥の製造を試みた。
ニッカウヰスキー株式会社蔵

3.1950〜1965:シードル工場時代

のちの朝日シードル株式会社の社長となる、吉井勇は、1950年頃、朝日シードルの設立にあたり、シードルに造詣の深い東京大学農学部・坂口謹一郎博士に相談。日本におけるシードル事業の礎が築かれていく。

黒 = 吉野町緑地・煉瓦倉庫にまつわる出来事

ゴールド = 国内・県内・市内の出来事

  • 1953年(昭和28年)

    吉井勇がりんご加工品の調査のため2ヶ月間フランス等を外遊

  • 1954年(昭和29年)

    朝日シードル株式会社弘前工場創業。1億3000万円を投資し機材を購入。最終的には年間200万箱のりんごを使用し、シードル約1800万リットルの製造を見込む

  • 1956年(昭和31年)

    朝日シードルが家庭向け・婦人向け軽飲料として発売。当時の東洋では唯一の果実発泡酒。サイゴン、沖縄との貿易契約も成立

  • 1960年(昭和35年)

    シードル事業の継続をニッカウヰスキー株式会社に依頼し、ニッカウヰスキー弘前工場として操業開始。東北地方向けウイスキーの製造を始める

  • 1965年(昭和40年)

    ニッカウヰスキー弘前工場が栄町に移転

  • 《弘前公園の桜》撮影=佐々木直亮(1956)
    左背景に朝日シードルの看板
    青森県立郷土館蔵

  • 朝日シードル発売時(1956年)のパッケージ
    ニッカウヰスキー株式会社蔵

  • 朝日シードルのラッピングカー
    吉井家蔵

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《黒堀、吉野町》撮影=今泉忠淳(1984年)提供:今泉忠淳

4.1975〜1996:倉庫時代

朝日シードル株式会社からニッカウヰスキー株式会社へと引き継がれた煉瓦倉庫は、ニッカウヰスキー弘前工場の移転ののち、1975年、一部を取り壊し合棟し、現存する煉瓦倉庫の形へと変わる。

黒 = 吉野町緑地・煉瓦倉庫にまつわる出来事

ゴールド = 国内・県内・市内の出来事

  • 1978年(昭和53年)

    政府備蓄米の保管用倉庫として使用(〜1997年)

  • 1988年(昭和63年)

    美術家・村上善男(むらかみ・よしお、当時弘前大学教授)が吉野町煉瓦倉庫を「版画美術館」にすべきと提起し、約20名からなる煉瓦館再生の会を設立

  • 1991年(平成3年)

    煉瓦館再生の会が「現代日本版画展」を市内ギャラリーにて開催

    「りんご台風」と呼ばれる台風19号の影響で青森県内のりんごが大被害を受ける

  • 1994年(平成6年)

    弘前市が吉野町煉瓦倉庫設置構想を検討(2001年、倉庫取得を一時断念)

  • 1996年(平成8年)

    「’96 ジャパンアップルフェア」開催。煉瓦倉庫の活用法を考える市民ワークショップが開かれる

  • 駐車場が広がり周囲にはマンションが(1994年)

  • 《中央弘前駅》撮影=今泉忠淳(1995年)
    提供:今泉忠淳

  • 政府米保管用倉庫として使用されていた頃の様子
    (1994年)

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「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」展開催中の緑地の様子(2006年)
提供:NPO法人harappa

5.2002〜2020:煉瓦倉庫から美術館へ

美術家・村上善男らによる煉瓦館再生の会の活動をはじめ、煉瓦倉庫の活用をめぐる思索がされる中、煉瓦倉庫にとって大きな転機が訪れる。それは、当時の吉井酒造株式会社社長・吉井千代子(よしい・ちよこ)と現代美術作家・奈良美智(なら・よしとも)の出会いである。この出来事を機に、煉瓦倉庫は美術館へと変革を遂げることとなる。

黒 = 吉野町緑地・煉瓦倉庫にまつわる出来事

ゴールド = 国内・県内・市内の出来事

  • 2002年(平成14年)

    奈良美智「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」展を開催(横浜美術館など巡回)

  • 2005年(平成17年)

    奈良美智「From the Depth of My Drawer」展を開催(原美術館など巡回)

  • 2006年(平成18年)

    奈良美智、graf「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」展を開催

  • 2007年(平成19年)

    吉野町緑地に奈良美智《A to Z Memorial Dog》が設置され、弘前市に寄贈

  • 2011年(平成23年)

    東日本大震災

  • 2015年(平成27年)

    弘前市が土地と建物を取得
    「弘前市吉野町煉瓦倉庫・緑地整備検討委員会」が組織される
    《A to Z Memorial Dog》が煉瓦倉庫内に展示される

  • 2017年(平成29年)

    「(仮称)弘前市芸術文化施設」の整備が本格的に開始

  • 2018年(平成30年)

    改修工事が開始

  • 2020年(令和2年)

    弘前れんが倉庫美術館開館

  • 弘前れんが倉庫美術館外観(2020年)
    ©︎Naoya Hatakeyama

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