父の絵は、とにかく古さびたものや朽ち果てていくもの、あるいは集まっているものたちを描くことが多かった。それが存在していた時間、いまもそこに存在し続ける時間を感じながら、そんな時間の経過を自身の時間と重ねていくように、描いていたように思う。思えば、家にある画集は、ほとんどが農村の風景や朽ち果てたような古い家の絵であった。多くの油絵は画集にある絵の模写だったように記憶している。部屋の中で他人の風景画を借りて描く。そんなひとりの時間は、絵の中にある懐かしそうで見知らぬ風景を自分の居場所と重ねているようである。きっと描くという行為を通じて、自分をそこに連れ出して行っているような気がした。私もいつしかそんな影響を受けてか、古さびた風景やものを描くのが好きになった。絵画はきっと、自分がそこに存在していた時間を記憶する装置なのだろう。
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